世界と対話する小さな村をめざして-鉄の歴史村-

●たたら製鉄の村

「たたら製鉄」とは、日本古来の製鉄法である。木炭と砂鉄を原料に極めて純度の高い鋼を生み出す。島根県雲南市吉田町では、鎌倉時代に土着した田部家の経営により「たたら製鉄」が隆盛した。この地に生きる人々は、大正12年に閉山するまでの数百年にわたって、たたら製鉄や田部家と深く関わりながら生きてきた。

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●最後のたたら師と文化財

閉山から約44年後の昭和42年、170年の間たたら製鉄の操業の現場であった「菅谷たたら山内」が国の重要有形民俗文化財に指定された。次いで昭和44年、日本鉄鋼協会が中心となりたたら製鉄の再現と技術の解明、そして記録と保存が行われた。たたら製鉄の技術は秘伝とされていた。「最後のたたら師」による復原操業の記録は映画『和鋼風土記』として制作され、映画は芸術大賞を受賞した。

●過疎脱却のために

たたら製鉄業が消滅した後、地域の産業は木炭製造へ転換。しかし、後に石油への燃料革命によって木炭産業は衰退し、人々は仕事を求めて都市へ流出した。吉田村には働き手が大幅に減少する過疎の時代が訪れた。
昭和57年、吉田村役場では過疎脱却を図るため新たな村づくりへと向かう。住民の間では、村を思う有志によって生まれた塾が「村づくり委員会」へと発展し、住民による村のビジョンが提示された。
昭和60年、学識者、企業人、文化人などによって開かれた検討会議において、「鉄の歴史村構想」は「世界と対話する鉄の歴史村」へと大きく飛躍した。

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●「鉄の歴史村」の建設

吉田村では、まず「たたら製鉄」の遺構である文化遺産の復原整備を行った。次いで、たたら製鉄の技術や職能集団、経営をテーマとして「鉄の歴史博物館」をオープンさせた。さらに、たたら製鉄の現場に住む人たちの生活を保存・公開する「山内生活伝承館」、日本の製鉄史の拠点づくりを目指して「オープン・エアー・ミュージアム」を整備する。ここは、世界の製鉄史を比較し学習する鉄の未来科学館やたたら製鉄の実験炉、コンベンションホールによって構成された。
吉田村は、昭和61年、「鉄の歴史村」を宣言。そして、「鉄の歴史村」のより充実した活動と高度で機能的な運営を図るため、財団法人鉄の歴史村地域振興事業団が設立された。全国各地の企業24社からの寄附を含む4,000万円を基本財産とするものであった。

●再評価活動としてのシンポジウム

「鉄の歴史村」では、鉄に関する史資料や知識を集積することを目的に、毎年、国際シンポジウムを開催した。これによって、建築や民俗学、文化人類学、生命史学、デザイン、工業技術など、多様な分野の知識が集積されることになる。さらに、英国やアジアなど各地の研究者や文化事業関係者とのネットワークも形成された。

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●文化と産業のパートナーシップ

文化と産業は本質的に相いれないものである。しかし、ここに「交流」というブリッジをかけることによって、文化は再生産力を持ち、経済活動を生み出すことができる。こうした理念に立って、鉄の歴史村づくりは進められてきた。
「鉄の歴史村」という文化事業から交流を生むことによって産業を創出していく取り組みとして、昭和60年に第三セクター・㈱吉田ふるさと村を設立。開業当初は3人でスタートし、現在は従業員約70人、売上5億円の企業に成長した。
また、住民による町並み保全活動や、商工会による町並みの魅力づくり、住民によるコミュニティビジネスへの試みなどが行われている。

●高速道路・尾道松江線の開通と観光振興

平成27年、山陰と山陽を結ぶ高速道路・尾道松江線が開通する。これによって交流のインフラが整うことになる。これを契機に、地域の歴史や文化に基づいたミュージアム・トラベルや沿線地域や近隣とのミュージアム連携を図り、交流人口の拡大に取り組んでいくこととしている。

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●知的観光地を目指す

鉄の歴史村が目指すものは、知的観光地である。これは、場所の持つ力によって知と対話する所であり、その地域の自然の特長や歴史遺産、文化遺産、風俗、習慣などを正しく表現する知識の基盤に立った観光地である。知的観光地づくりは、文化遺産を守り、再評価し、文化交流事業によって発展させていく仕組みをつくっていくことである。これは地域に文化的環境を充実させていくと同時に、そこに生きる人々が自ら成長する環境をつくっていくことでもある。