和歌の文化をまちづくりの核にして-古今伝授の里-

●「古今伝授の祖・東氏」

中世、郡上の領主であった東氏は代々和歌の名門で、とりわけ第9代・常縁は、『古今和歌集』に関する秘伝を授受する「古今伝授」を確立した人物といわれている。大和町には、東氏ゆかりの城跡や明建神社などが残されている。
昭和54年、篠脇城のふもとで東氏の居館跡が発見された。そこに現れた庭園は国の名勝指定を受け、一躍脚光を浴びることになった。
さらに、昭和62年3月、東家第27代当主より史資料が大和町に寄託されることが決まった。

●「古今伝授の里」を基軸に人と産業を育てる

その頃、隣町の城下町・郡上八幡町に比べて、大和町は個性に欠け、存在感がないことに不満が募っていた。折しも「村おこし」ブームのなかで商工会青年部が中心となって古今伝授の祖・東常縁を顕彰する謡曲を復曲して「薪能くする桜」を開催した。
行政では、町の総合開発計画において「古今伝授の里」づくりを基軸に産業振興と人材育成を図ることになった翌年、2つの塾に20代、30代の若者を中心とする塾生が集まった。一つは「歴史や文化戦略を学習する塾」、もう一つは「商業の活性化を考える塾」である。
こうして「古今伝授の里」づくりへ向けて、町民の活動と行政の事業がスタートした。

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●「古今伝授の里づくり」

「古今伝授の里」の中心地は、中世・東氏の本拠地に設定された。東西2キロメートルにわたるエリアである。国の名勝・東氏館跡庭園は公園として整備し、古今和歌集に詠まれた植物を植えて古今植物園となった。歴史民俗資料館はリフォームした東氏記念館とインフォメーションセンターに。そして和歌文学通史と古今和歌集を紹介する和歌文学館や展示会など多目的に利用できる篠脇山荘を新設した。そしてサービス施設としてレストラン、売店、茶屋を設けた。これらで構成されるフィールドミュージアムが平成5年に開園した。

●「古今伝授の里」から日本文化を創造し、発信する

東氏が勧請した明建神社では、毎年8月7日、神社の祭礼と同じ日に「薪能くるす桜」が上演される。また、地元に取材した新作文楽「母情落日斧」を制作し、人形浄瑠璃も毎年開催するようになった。これらは和歌文学とも密接な関係を持つ日本文化を「古今伝授の里」の独自文化として昇華しようとする試みである。
こうした活動の基盤は、短歌図書館「大和文庫」や、国文学者・島津忠夫博士の蔵書「島津文庫」をはじめとした資料の収集や調査・研究の積み重ねである。さらに、短歌大会の開催、短歌団体や結社の受け入れ、地域の小学校や福祉施設での短歌教室など、着実に和歌文化をこの地に定着させてきた。
平成26年、フィールドミュージアムは20周年を迎えた。ここで改めて和歌や文化のまちづくりを考える委員会を立ち上げる。委員会は若手有識者や経験者などで構成し、企画展及び、第一回現代短歌フォーラムを開催した。このフォーラムには全国から大学短歌会が結集した。

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●「古今伝授の里」を基本にした交流、観光、産業活動

古今伝授の里では、歳時記に合わせて「ゆきばた椿祭り」や「歌となる言葉とかたち展」など多彩な事業を展開している。こうした催しに合わせて交流人口が増え始めた。これに拍車をかけたのが温泉施設と朝市を併設する道の駅「古今伝授の里やまと」のオープンであった。それまで大和町への入込客数は数万人だったが、道の駅開業後は年間70万人を集客するようになった。道の駅に隣接する農産物販売施設は昭和60年初頭に年間売上数十万円でスタートしたが、平成26年には1億4千万円を売り上げるまでに成長した。
フィールドミュージアムのサービス部門とともに、これらを運営するのが第三セクター・郡上大和総合開発㈱である。この会社は、東海北陸自動車道に「ぎふ大和インターチェンジ」開設を目的として昭和63年に設立された。現在、約80人の従業員が働き、年間約8億円を売り上げている。
こうした動きは町のイメージを高め、移住にも効果を広げている。そして移住した人々がこれまでになかった新しい産業を生み出すようになってきた。

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●文化が人をつくり、交流が経済を支える

古今伝授の里づくりは、「歴史や文化に親しみ、わが町を誇りに思える住民=大和人づくり」と定義した。そこには「肯定的に喜びをもって居住することが幸福につながる」という強い思いがある。
住民が文化活動に多くかかわることで交流の質が高まり、来訪者も高付加価値のものを求める比重が増す。大和町では、農業振興と合わせて、交流によって経済的なインフラを築いていくという戦略を進めている。